緋箱双紙 弐拾漆『夜空』環

今回の更新は多間です。
私の緋箱綺譚での活動は、この更新と次回の山本紗由さんの投稿のRTをもって最後となります。

短い間でしたが、読んでくださってありがとうございました。
緋箱綺譚は方向性の違いから、2月上旬の時点で、5月末での終了と山本さんとの間で合意していました。
しかし、私の方がひどく体調を崩すことが増えましたので、急遽前倒しにして4月末での終了としてもらいました。
急なことで申し訳ありません。

私事ですが、経緯を少し書かせていただきたいと思います。

昨年11月に父を亡くしました。予兆のない突然死でした。
10月末の父の誕生日のために用意したプレゼントは、仕事が忙しく「今度渡すね」と電話をしたまま、渡せずに終わりました。
半年近くたって思い出すのは、父の携帯からアドレスに入っている人々へ電話をし続けたことです。
父からの電話だと思って明るい声で出る人々に、訃報と通夜・告別式の日時を伝えます。
茫然として満足な受け答えできずに電話を切られる方や、号泣される方など様々でした。
4時間ほど、一人で電話をかけ続けました。(辛い作業だとわかっていましたので、母や弟にはさせられませんでした。)
まだ現実まで降りてきていなかった父の死を、私が現実の地べたまで引きずり降ろしてしまったような、そんな気がします。
今も時々夢に見ます。静かに涙が落ちて、手が震えます。

また、実家は機能不全家族だったこともあり、そのしわ寄せが長子である私にのしかかっていました。
父からは理由も分からず怒鳴られ、理屈で詰められ、常に過剰な要求をされていました。
ダメだダメだと言われる一方、教育者の父にとって私は父の作品であったため、外では作品として恥ずかしくない娘でなければいけませんでした。
そのため、管理と支配と執着はとても強く、私の結婚後もその要求が弱まるには数年の時間が必要でした。
父と娘として、お互い尊重した穏やかな関係に変わってきたかもしれないと私が思えたのは、父の死の僅か半年前のことでした。
子どもの時からの苦しかった記憶は、父が生きているときから私を苦しめ続けてきました。
父が亡くなってすぐは喪失感と悲しみで頭が一杯でしたが、一か月ほどすると、苦しかった記憶が頭を渦巻きはじめ、より苦しみが増すようになりました。
今は、父の作品を演じていた相手とは会うことができなくなっています。
皆、亡くなった人の良い話しかしません。
それにニコニコと相槌を打ち、良い話を私からも提供することが、耐えられないのです。
父の良い話をしていると、子どもの私が泣きながら「違う違う」「私を居なかったことにしないで」と、私を心の内側から激しく叩き始めます。
その泣き声と訴えは悲痛で、気がおかしくなりそうになります。
そのため、親戚も含め、父を知る人に会うことを出来る限り避けています。
私がどれだけ嘘にまみれた子どもであったのか、そして人間なのか、よくわかります。

このように、心理的に苦しい状態に11月以降あります。
それに加え、1月に行われた職場の改装時に使用した建材にアレルギーを発症し、数時間職場にいるだけで呼吸困難とめまい・意識混濁が生じるようになりました。
症状がおさまるまで数日かかるため、時短勤務と在宅勤務を組み合わせて対応しています。
現在も2週間に一度点滴と酸素吸入を行うことで仕事を続けていますが、今のところ良くなる兆しはありません。
ずっと頑張ってきましたが、3月末から4月初旬にさらにきつく体調を崩したことで、気力が尽き果てました。

そのため、急ではありますが、4月末での終了を山本さんに申し入れました。
今までの状況をすべてご存知でしたので、すぐにご了承いただきました。

以上のような経緯です。長かったですね(笑)
読んでくださってありがとうございます。

アレルギーとの生活はまだ続きます。
また、父のことはこれからも長く苦しまねばならないでしょう。
けれども、それは誰もが通る道です。
どんな人間も、言葉にできない大きな苦しみを抱えて生きています。
相手の苦しみが自分の苦しみより大きいか小さいか、それは誰にもわかりません。
それでも、言葉にできない苦しみを抱えながら、日々のことを懸命にこなし、責任を果たし、人を思いやり、小さな幸せを大事に生きているのが人間だと思います。
それを決して忘れずに、私は生きていきたいと思います。

最後の緋箱双紙には、父のことをよんだ詩を載せます。

もう二度と私の言葉と縁のない方々もいらっしゃると思います。
どうぞ皆さんお元気で。
今まで、ありがとうございました。
 


「夜空」

金平糖を食べながら、川べりを歩く
茶色く変色した花びらに、街灯だけが優しい

一昨年祖母が死んだとき、葬儀を友引にした
孫は皆社会人だったので仕方がなかったらしい
友引人形を入れていたが、それからずっと心配していた

祖母は父を溺愛していた
だからあんな甘ったれの我儘な人間になったのだ
外面は異常に良かった
沢山の人を助けた
私には沢山の傷を残した
今も怒鳴り声が聞こえると動機がして身がすくむ

映画と本を愛していた
童話を即興でいくらでも作ることができる人だった
私が父の映画好きを知らずに映画を好きになったことをとても喜んだ
高校生になっても門限は日暮れ
京都市内の決まった場所以外は一人では行かせてもらえなかった
だが
映画を見るためには夜でも外に出してくれた
映画を見るためなら大阪にも行かせてくれた

お父さん、昨日映画を見たんや
お父さんの好きなドキュメンタリー映画やで
すごく良かった
お父さん、絶対この映画見た方がええと思う
お父さん、この映画見たらなんていうやろか

父が言いそうなことが想像できる
父の声と笑顔がすぐ目の前に浮かぶ
涙がこぼれおちる

見上げた空に星は見えない
金平糖をまた口に入れる

「これはな、星の欠片のお菓子なんや
 一粒食べたらさーっと空へ飛んでいけるんやぞ
 あんた、どうする?食べてみるか?やめとくか?」

そう言って、子どもを困らせて笑っていた父は
きっと隠れて沢山の金平糖を食べたのだ

誰にも気づかれずに
さーっと空へいってしまった

口の中に広がる金平糖の味は甘ったるい
きまりの悪いときの父の笑い方とそっくりだ

笑ったからといって
許せているわけではない
泣いたからといって
受け入れられているわけではない
悲しいからといって
愛せているわけではない

目をかたく閉じて
残っていた涙を落とし切る

金平糖の残りを
口いっぱいに流し込み
がりがりかみ砕く

そして
私は黙って、川べりを歩く
灯のない方へ、ない方へ