緋箱双紙 弐拾伍『金』環

 
「金」
       
                  
 もう手袋がいるな。そんなことを思いながら、私は通学路を歩きだした。今日が憂鬱な一日になることは分かっている。「頑張れ山田侑希子!」そう自分を鼓舞して私は歩いた。

 私は昔から勉強も運動もできた。でも、一番好きだったのは絵を描くことだった。だが、両親は絵に関心がないようで、絵を習いには行かせてもらえなかった。
 絵を習っている人と習っていない人の差を知ったのは、中学に入学してすぐ浦田雪子の絵を見た時だった。私が感覚で描いているところを、雪子は緻密に計算して描いていた。その違いはとても大きく思えた。同じ名前の同級生に対して、私は素直な尊敬と憧れを抱いた。

 隣の小学校出身の雪子は、控えめな雰囲気と編み込みおさげが愛らしい少女だった。良家の一人娘らしく、ピアノもバイオリンも弾くことができた。粗雑で頑固で人に合わせられない私とは違い、男子にも女子にも好かれていた。
 私はその性格からか、小学校六年間虐められてきた。誰も口を利かず、笑っても泣いても怒っても、それを嘲笑される毎日だった。残念ながら中学でもそれは変わらなかった。二つの小学校出身者で構成される中学校で、入学後じきに隣の小学校出身者も虐めに加わり始めた。小学校の倍の数から虐められる中、私はだんだん表情を失い、毎日黙って本を読んで過ごすようになった。お嬢様は別格らしく、雪子が虐めに加わることも虐められることもなかった。同時に、虐めを止めることもなかった。
 虐める人と虐められる人と止めない人、それ以外はいない学校だった。

 そんなある日、朝のホームルームで担任から発表があった。雪子と私が、県の絵画コンクールで金賞と銀賞を取ったのだと言う。

 「浦田雪子さん金賞、山田侑希子さん銀賞です」

 歓声が上がり、興奮の中心で雪子が笑っていた。悔しい気持ちも少しはあったが、銀賞でも飛び上がりたいほど嬉しかった。けれど、笑っているのが見つかると「気持ち悪いものを見てしまったわー」と一日中嘲られるので、俯いたまま必死に笑顔をかみ殺した。
 そんな私の哀れさが職員室で話題になったのか、いつも気にかけてくれる社会の高木先生が授業後そっと声をかけてくれた。
 「山田さん、銀賞おめでとう。昔ね、金より銀の価値が高かった時代もあるのよ。だから、山田さん元気出してね」
 高木先生はいつも少しズレている。そう思いながらも、高木先生の優しさが嬉しかった。
 
 問題は翌年だった。同じコンクールで二人はまた金賞と銀賞を受賞した。今度は、私が金賞で雪子が銀賞だった。
 信じられないと喜びが湧きかけたその時、教室内に落胆の声が響いた。担任は注意をしたが、聞くような者は初めから虐めなどしないものだ。その日一日、「何であっちのユキコなの?」「先生の子だから親のコネ使ったんだよ。サイテー」と、いわれのない侮辱が教室に蔓延した。そういったことに慣れていたはずだが、その日は耐えきれず、仮病を使って早退することにした。
 涙を堪えながら靴を履き替えていたら、雪子が声をかけてきた。

 「山田さん、金賞おめでとう」

 雪子と話すのは初めてだった。返事に困って雪子の顔を見たら、両目が赤く腫れていた。
 馬鹿な私は咄嗟に言ってしまった。

 「銀が金より価値のある時代もあったって、高木先生が・・・」

 雪子の赤い目はみるみるつり上がった。

 「どういう意味⁈」

 普段の雪子からは想像もできない大きな声だった。私は狼狽えてしまい、「ごめん」と言って下を向いた。我慢していた涙がぽたぽた落ちた。誰かが様子を見に来る気配と共に、「ごめん」と小さく聞こえて、雪子の足は校舎内へ走り去った。
 その日私は、学校から家まで声をあげて泣きながら歩いた。

 それから一年。
 今日は中学最後のコンクール結果がわかる日だ。どんな結果でも、その先のことを思うと憂鬱で仕方がない。
 朝のホームルームで担任がおもむろに発表し始めた。

 「いやー、三年連続入賞はすごいぞ、二人とも。今年は、山田も浦田も銀賞だ!」

 クラスに微妙な空気が流れた。歓声も上がらなければ、落胆も響かない。誰を上げて誰を下げるのか、それしか頭にない人達が戸惑う姿は滑稽で溜飲が下がる思いがした。しかしそれ以上に、大きな安堵に私は包まれた。そっと雪子を盗み見ると、雪子もほっとした笑顔を浮かべていた。
 その日、中学に入ってから一番平和な一日を私は過ごした。

 放課後、図書委員会が終わって靴箱の前に来たときには、もう辺りは薄暗くなっていた。
 突然、背中から声をかけられた。

 「山田さん、絵習わないの? 才能あると思うよ」

 驚いて後ろを振り向くと、雪子が立っていた。

 「え、いや、ないよ。金じゃなくて銀だし」

 焦って返事をした後で、雪子も銀賞だったことに気づき「あ、ごめん」と慌てて付け足した。
 雪子は少し笑いながら、おどけた調子で言ってきた。

 「銀が金より価値のある時代があったんでしょう?」

 私は思わず笑った。雪子も笑った。

 空では、星が瞬き始めていた。

 
(了)