緋箱双紙 弐拾捌『夜空』紗由

昨年の10月2日から
毎週月曜日に更新してきた緋箱双紙も本日で最終回です。
今までお読み下さった皆様、本当にありがとうございました。

環さんにお誘い頂き始まった緋箱綺譚。
そして緋箱双紙。
短い期間では有りましたが、
私にとっては4年間ほぼ休眠状態だった創造的作業のリズムを
段々と取り戻していけるとても有難い場でした。

私の原点であるヴァイオリン。
クラシックのヴァイオリン奏者は
基本的に既存の楽譜を元に練習を行い、
偉大なる作曲家の音楽を弾きこなしていきます。
(例外は沢山、沢山ありますが)
私自身も4歳から精進を重ねて参りました。
物心つく前から身につけた技術ですが、あるときふと、

何のために演奏をするのか。
優れた演奏とは何なのか。
そもそも、演奏は技術で有り表現ではないのではないか。
では、表現とは何なのか。
私はいったい何をやりたいのか。

という事が分からなくなりました。

分からなくなったので、
とりあえず色々なことをしてみました。
舞台に立ってみたり、絵を描いてみたり、歌を唄ってみたり、
そういう中で、無から有を作る作業として物語を創造して行き
自分の舞台で発表するという事をやりました。

そんな試行錯誤の中で、ようやく、最近になって
自分の内側が分かってきたような気がします。

わたしは今後も、物語と音楽で作品作りを続けていこうと思っています。
今後の情報は↓からチェックして頂けたら嬉しいです♬
http://yamamoto-sayu.com/

最後に私の忘れられない夜空の下での思い出たちを
お届け致します。

「夜空」

夜空のしたでの思い出があります。
良い思い出も、悲しい思い出も
沢山、沢山積み重ねて此処まできました。

中学生のとき、タクラマカン砂漠を夜行列車で一晩走り続け、
寝る前と起きたあとで全く風景が変わらなかった事を覚えています。

亡くなった母の遺体が数日間家の中で横たわっていたのですが、
その遺体が障子ごしの夜の月明かりに照らされてとても美しかった事を覚えています。

私の初めてのファンが、握手を求めてきたのも夜空の下でした。

初めて参加した野外劇は静岡で、雨が降ってきてとても寒かった。

野外劇の記憶はいつも夜空の下。
夜空まで声が抜けて言って何かに届くような気がするので、
わたしは野外劇がとても好きです。

もう5年以上前の話。
冬の寒い日、ドヤ街における年末年始の越冬闘争。
その中に芝居を持って行こうという劇団に
参加していた時の事です。

ドヤ街は日雇い労働者の街。
年末年始は仕事もなくなり、路上で死ぬ人が出てくる。
だから、一人の死人も出さないように、
越冬闘争としてみんなで集まる。炊き出しが行われる。
そんな中で行われる路上芝居。演者も観客も冷たい道路の上。
客はその劇団の観客と、ドヤ街の酔っ払い達が入り乱れて、
芝居に乱入するものがあったり、幕裏に人が入ってきてしまったり。
人の境界も、舞台と客席の境界もあまりにも脆い世界。
それでも芝居が終われば演者は客に頭を下げて、
客は演者に拍手を送ります。

その後、籠を持って投げ銭をもらいに客達の中に私自身が紛れて行った時、
私はその人に呼び止められました。

汚れた人でした。
とても小さな人でした。
着るものも汚く、肌も汚く、歯も欠けてしまったそのおじさんは
私を呼び止めると、私の持っていた籠に、
持っていた布の袋をひっくり返しました。
チャリンチャリンと小銭が入りました。

布の袋はおじさんの財布だったであろうに、
ひっくり返してしまったら、明日のお酒も買えぬだろうに。
動揺した私におじさんは

「よかった、よかった」

と呂律の回らない口で言って、フラフラと何処かへ行ってしまいました。
その日はとても寒い日でした。
私の手はかじかんで演奏は満足できたものではありませんでした。
私は思い通りに演奏がいかなかった事で
少々忌々しい気持ちを持ちながら客達の中を練り歩いていたのです。
その事が、とても恥ずかしいことに思えました。

その時から
わたしは演奏や芝居の力を信じる事が出来るようになりました。
何のために舞台に立つのか。
何のために演奏をするのか。
それがほんの少し、掴めたような気がしたのです。

沢山の支えてくれる方々に感謝をしつつ
これからも、ほんの束の間の夢幻をお届けできますよう、頑張って参ります!

それでは皆様、
また、別の場所でお会い致しましょう!