人魚の燭 /山本紗由

昔、蝋燭屋の青年が月明かりの美しい晩に、
浜辺で傷ついた人魚を拾いました。

其の村では人魚は災いを呼ぶ
不吉なものとされていましたが、
青年はその人魚の美しさに魅せられて、
こっそりと家に連れ帰り看病したのです。

水にぬれた長い黒髪は
月明かりに照らされてキラキラと輝いていました。
蝋燭のように白い肌は、
とても生きているものとは思えませんでしたけれど、
真っ黒は瞳は確かにじっと
此方の様子を伺っていました。

目も、鼻も、口も、
あらわになっている形の良い乳房も
全て人間のものと変わりはなかったのですけれど、
青みがかった鱗がびっちりと生えたその下半身は
間違えなく魚のものだったのです。


僕は何度この物語に足を踏み入れたか分からない。
これは、僕が暮らす小さな海辺の村に伝わる伝説だ。
蝋燭屋の青年が夜の浜辺で出会った人魚に、僕は恋をしてしまった。

月明かりの美しい晩に浜辺に打ち上げられた君。
紙に書かれた文字のひとつひとつから、
水のからやってきた君の纏う冷たい空気と
香しい香りを感じる事が出来る。
僕はいつの日か君に出会えると信じて、
月明かりの美しい晩には必ず夜の浜辺を散歩した。
そして、砂浜と打ち寄せる波の境界線に
君の姿を探すのだ。

「やっぱり、此処に居たのか。
月明かりの美しい夜だから、
きっとお前さんは此処だと思ったよ。
愛しい人魚には、もう会えたのか?」

その日も、月明かりの美しい夜だった。
波打ち際でぼんやりと暗い海を見つめる僕に、
軽い口調で後ろから声をかけて来たのは
村の男だった。

「全くあんな気味の悪い伝説の
何処にお前さんが惹かれるのか、
俺にはさっぱり分からないね。
人魚ってのは災いの元凶という話じゃないか。」

「それは、違いますよ。
人魚そのものは災いではなく、
只の警告に過ぎないんです。
だから、人魚を殺しても村人は
災いから逃れる事は出来なかった。
憎むべきは
災いそのものでなければいけなかったのに、
村人達は災いを警告するものを憎み、
そうする事で災いそのものからは
目を逸らしてしまった。だから・・・」

「分かった分かった。俺が悪かったよ。
こんな物語の事で本気で喧嘩をするなんて
よそうじゃないか。馬鹿馬鹿しい。」

小さな村の事。僕の人魚狂いは有名だ。
男は言い過ぎたと言うように、口をつぐんだ。
沈黙を静かな波の音が埋めて行く。

「なに、ちょっとした、事件が起きてね。
それをお前さんに教えてやろうと思ったんだ。」

暫く二人で夜の波の音を聞いた後、
頃合だとでも言うように、男が口を開いた。

「山の上の海神さまの社にな、
赤い蝋燭が灯ったそうだ。」

<続>


この作品は山本紗由が2013年に行った
独り演奏劇の台本を新たに書き直したものです▼

山本紗由 独り演奏劇 箱庭コラァル